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Re: (無題)
投稿者:
ヨーシロー
投稿日:2008年10月 8日(水)00時51分21秒
返信・引用
>
No.692[元記事へ]
猫夜叉さんへのお返事です。
> 昨今、デジカメの登場で写真の本質が露見したんでしょうね。
> いままで当たり前だと思っていた事が危ぶまれだしたわけです。
話は少しずれるかもしれないのですが、それまで信じていたことが見事に崩れてしまった象徴的な出来事がありました。
ひとつはまだデジカメが普及していない頃のことです。
一番忙しい時間帯に魚屋のご主人の「笑顔」を撮るという仕事でした。その日の生活がかかっているという時刻なので撮影時間制限1分。こっちに都合のいい笑顔なんてしくれるのか?という崖っぷちの状況で67で撮った最後の10枚目に奇跡的に良い笑顔をちょっとした一言で引き出せたのです。
そういう状況での撮れた!という満足感はご承知のように天国にも昇る気分なのですが、印刷が上がって地獄に堕ちました。
何とご主人の額には「ねじり鉢巻」がくっついていたのです。そう、鉢巻なんかしていなかったのです。
怒りで震える声で「何で?」とデザイナーに聞くと、「クライアントが魚屋さんと言えば鉢巻でしょ、と言うので…」
明らかに浮いてくっついている鉢巻。あまりにも悲しい鉢巻。デジタル技術とは恐ろしいと思いました。(この仕事はCheeseさんが初めて広島に来た時にお見せしましたよね。)
もうひとつは偽造、捏造。
そのクライアントの現実の看板ではメーカー本社から補助金が出なくなるので、報告用の画像を偽造する依頼を受けました。
迷いましたがかなり高めの見積もりを出してもOKでしたので、こっちも稼ぐために承諾。その偽造は成功しましたが、実に後味の悪い気分にしかなりませんでした。
「写真」という名の信用性を持っていたものを汚すことに手を染めた。まるで犯罪を犯した気分。いえ、実際ほとんど犯罪でしょう。
便利なデジタル技術はすぐに悪用される。それ以前も広告写真は眉唾ものだったのでしょうが、それが本当に信用できないものになったのだということは、写真史上明記されなければならないでしょうね。
あれからほぼ7年。僕は日々デジタル写真を取り扱いながら、いまだにアレルギー反応があります。だからつらい。仕事がつらい、楽しくない…愚痴
最近「デジタルアート」もやっと日本で認められつつあるようですが、彼らはそれを「写真」と呼ばないで欲しいですね。そこをきちっと区別しないのはおかしいですよ。
技法も性質も全然違うという認識がないのは鈍感としか言いようがない。
複雑な合成を何ヶ月もかけてやるのは立派な芸術的行為だと思うし、中には感動できるものもありますが、写真とは違う。
そこははっきり「区別」して欲しいのですけどねぇ、アカデミーな現場ではどう考えているのでしょうか?
こう考えて僕なりの写真の本質は、やはり「目の前の現実の記録」ですね。
「かつてそれはそこに確かに存在した」という証です。
> まぁ、一番問題なのは
> ヒトとしての本質である愛などが失われつつあるということでしょうか。
そうなんですかー?
うーむ、ますます愛を撮りたい!(笑)
> 見ていないのでどういうものかわかりませんが
> 私は今自分が持っている感情・感覚が
> 写真界に存在しないことを
> むしろ密かに喜ばしく思っている部分があります。
前向きな思考で本当に良いと思います。
僕ももうすぐそういう境地に行ける気がします。
> まぁ、批判はしますけどね。
どしどしと!
http://www.valoy.com/
(無題)
投稿者:
猫夜叉
投稿日:2008年10月 5日(日)19時48分42秒
返信・引用
>> 写真でヒトの心を揺り動かす要素は
>>写真の本質とは別の所に存在するんですよ。
愛とはヒトの本質でしょうね。
狭義における写真の本質に愛はないですから、
ヨーシロさんにとって愛という思想は
自らの作品を育み他者の心をも揺り動かすはずですよ。
それが作家性になっているのならしめたものだと。
昨今、デジカメの登場で写真の本質が露見したんでしょうね。
いままで当たり前だと思っていた事が危ぶまれだしたわけです。
写真の本質はいわゆる「ヒトの感情」ではないので
デジカメ程度じゃ早々簡単に壊れるものではないのでしょうけどね。
まぁ、一番問題なのは
ヒトとしての本質である愛などが失われつつあるということでしょうか。
>アビーロードスタジオの音楽番組は業界の良心がまだ残っている人たちが
>制作しているんですね。
>そういうものが写真界にあるのかな?と思うと疑問です。
見ていないのでどういうものかわかりませんが
私は今自分が持っている感情・感覚が
写真界に存在しないことを
むしろ密かに喜ばしく思っている部分があります。
もし時流に惹かれて時流を追いかけていたなら
目立つこともなく時の藻屑になってしまうからですよ。
自分と世の中との乖離が
潜在する作家性・作品性を
大きなモノとして生みだすチカラに繋がると思えば、
脇目も振らずに自己に没頭できるんじゃないかと。
まぁ、批判はしますけどね。
関係ねぇ世界
投稿者:
ヨーシロー
投稿日:2008年10月 5日(日)00時47分57秒
返信・引用
「アヴァドン」って、最近12インチモニターの文字が見えづらくて・・・こんな環境で画像処理なんて無理ですね。(苦笑)
>フォトアートは今でさえ、受動的に最も理解されにくい類の
表現・サブカルチャーであると思います。
写真に於ける作家性はその作品からではなく
悲しいかな、作者自ら(或いは批評家)が語る付加価値に
よって成り立っているケースがほとんどであるということですね。
その批評家、評論家、解説者などによって80年代になって多くの海外の写真家の作品を知った僕は、素直にその作品を好きになったものですが、今主流のコンセプチュアルな写真はやはりストレートには心に響かないですね。
そういう時代に批評家が何だか元気がないのもいかがなものかと思うのです。
飯沢さん、お元気ですかー?(笑)
でもそんな写真ではいかんだろ、というのが一番言いたいところですね。
理屈で付加価値では、やはり表現として抜けられない。
>写真でヒトの心を揺り動かす要素は
写真の本質とは別の所に存在するんですよ。
本質と思える部分というのは人それぞれでもあるのでしょうが、基本的には写真を撮るということは僕の場合シンプルに「愛」です。
いえ、むしろ「写真は愛だ。」と敢えて言い切らねばならない時代になったのかもしれません。
それが実際に僕の作品からどのくらい伝わるかが僕自身の評価へとつながるのでしょうから、ここはあまり述べると自爆する危険性があるのですが、これだけ何も感じない写真が増えると逆に言い切ったほうがいいと思いますね。
こういうふうに個人的都合を表明した上で今の写真界というシステムの中の別の所に存在するのなら、そんなものと関係を持ちたくないというのが本音です。あくまでも個人的世界を貫くのならそれしかないとも言えるのですが。
ダイレクトにオーディエンスに届かない表現活動ほど苦しいものはないと思います。音楽然り。
しかし音楽は例えば昨日BS hiで観ましたが、アビーロードスタジオの音楽番組は業界の良心がまだ残っている人たちが制作しているんですね。
そういうものが写真界にあるのかな?と思うと疑問です。今はめまぐるしい機材の変遷のほうに目が行き過ぎて、肝心の作品がおろそかになっている時代ではないでしょうか?かつて音楽が必死で最新の機材で打ち込みばかりをやっていたように。。。音楽は今やっとそこには本質はないと思い始めたひとが懐古趣味じゃなく、敢えてその前の時代の音楽性に帰ろうとしていますね。
まあ単に僕の好みと一致するから歓迎しているという面もありますが…(実験精神を否定するつもりは全くありません。安易な時代迎合者は嫌いですが。)
派遣というのは終焉すべきシステムですね。今カメラマンがそこに向かっているのならカメラマンも終焉すべきです。
とにかく僕たちは関係のないところへ行きましょう!(笑)
http://www.valoy.com/
続き
投稿者:
猫夜叉
投稿日:2008年10月 4日(土)14時47分55秒
返信・引用
最近、カメラマンの派遣会社が急速に伸びてるんですね。
スポーツや音楽会など、イベントや祭典で出演者関係者全員を
撮らしてネットで写真販売をする会社とか、
雑誌や企業誌の取材専門にカメラマンを派遣する会社など
かなり大きな規模でやってますよ。
元々ギャラの安いスポーツ系フリーカメラマンや
写真学校を出ても仕事がなかったヒトやサンデーカメラマンなどが
挙って派遣に登録したわけです。
ただし支払われるギャラ(日当、時給)は一般的フリーランスの1/2〜1/10程度。
いわゆる価格破壊ですね。
デジタル化で素人亀でも簡単に参入できるようになったストックフォトの世界が
大価格破壊を起こしたのと同じような現象ですかね。
派遣カメラマンシステムも、中堅フリーランスの仕事を
確実に喰っちゃったわけです。
カメラマン・写真家予備軍というのは
過去の何倍も存在するわけですから、
言い方は悪いですが底辺の人材はいくらでも居るということなのでしょう。
派遣会社は足下をしか見ていないということになります。
派遣の末路は周知の通り。
派遣する方が悪いのか、誘惑に負けて登録する方が悪いのか・・・
なんであれ派遣システムがその業界の人材育成・階級ギャランティ制度を
ダメにしてしまうことは事実でしょうね。
胸を張って、「カメラマン・写真家である」と言えるには
ますます難しいということでしょうね。
アベドンやニュートンはそれだけ遠い人達なんですよ、私にとっては。
Re: (無題)
投稿者:
アトリエ諏訪山
投稿日:2008年10月 4日(土)10時26分45秒
返信・引用
>
No.688[元記事へ]
猫夜叉さんへのお返事です。
> 写真でヒトの心を揺り動かす要素は
> 写真の本質とは別の所に存在するんですよ。
これrはちょっと。
もう少し言葉がいるように思いますが。
(無題)
投稿者:
猫夜叉
投稿日:2008年10月 3日(金)01時35分4秒
返信・引用
>今後誰もアヴァドンにもニュートンにもアラーキーにもなれない。
さすがにアベドンやニュートンは別格でしょう。
本当に才能と実力があるなら今の時代でも
シンボリックなスターは誕生すると思います。
私がアサカメでデビューした頃は「暗い」「気持ち悪い」って
女の子にいわれたんです、作品がね。
でも今はあの頃の作品だって「すばらしい」って
女の子がいうわけで、ずいぶん寛容になったなぁということですよ。
街で道ばたの草や錆びた自転車にカメラを向けていても
だれも「バカみたい!」って後ろ指ささなくなったしね。
ただ写真が市民権を得た部分は、サブカルチャーに降格したわけ。
底辺がずいぶん底上げされたからみんな勘違いしやすいけど
今の時代においてさえ、誰でも簡単に写真家になれるわけじゃないかと。
>残されたものやことは写真の世界にあるのか?
モノがあふれた結果、市場は生き残るためマクロ化したわけですね。
小さな市場が沢山あるわけですから
今までのような「森」はもう見えなくなったんでしょう。
作品製作と公開を同次元で考えていると
いつしか希望がなくなってしまうかもしれません。
作品の市場(需要)が先に存在するのではなく、
自作品の為の市場(需要)が後から生まれるという
厚かましい発想でないと作品は死ぬでしょうね。
小さな市場で大きく生きる道はわりと沢山あるように思うのですが。
>>「写真は最も作家性が希薄なアートである」
>自分一人では完結しないという意味ではそうでしょうね。
>そこが写真の一番の神髄であり面白いところだと思います。
製作側の発想だとそのとおりでしょう。
フォトアートは今でさえ、受動的に最も理解されにくい類の
表現・サブカルチャーであると思います。
写真に於ける作家性はその作品からではなく
悲しいかな、作者自ら(或いは批評家)が語る付加価値に
よって成り立っているケースがほとんどであるということですね。
写真でヒトの心を揺り動かす要素は
写真の本質とは別の所に存在するんですよ。
Re: (無題)
投稿者:
ヨーシロー
投稿日:2008年10月 1日(水)00時33分0秒
返信・引用
>
No.686[元記事へ]
猫夜叉さんへのお返事です。
> 結果部分が最終目的なら
> 作品はいつか死にますよ。
僕はこれが一致していた時代が終わった気がするんですよ。
つまりもう今後誰もアヴァドンにもニュートンにもアラーキーにもなれない。
そう考えたときに残されたものやことは写真の世界にあるのか?という疑問が首をもたげます。
それでもこれしかやれないから結果を求めずにやり続けるだけなんですけどね。
> 作者は時流や普遍的価値観に盲目になり
> ひたすら自己と闘い、作品を吐きだすだけで
> いいんじゃないですか?
まさしく!
> 「写真は最も作家性が希薄なアートである」
> 量が増えた分、質がおおきく低下しているのは確かでしょうね。
作家性の定義が分かりませんが、自分一人では完結しないという意味ではそうでしょうね。
でもそこが写真の一番の神髄であり面白いところだと思います。
量については0円プリント全盛のときから増えましたが、今はデジカメでさらにさらにでしょう?
もう見るだけでもしんどいと思う人が増えていると思うのですが、それも残念でもありますね。
せめて選りすぐりの雑誌でもあれば救われる気分になるものですが…
> 時代に左右されないものは
> 時代を超えて生き残る、これも確かですね。
そこで問われるのが作家性という部分なんでしょうね。
ここを磨かないことには他に代替可能な作品しか残せないはず。
今そんなのが溢れ過ぎていますね。
http://www.valoy.com/
(無題)
投稿者:
猫夜叉
投稿日:2008年 9月30日(火)02時08分9秒
返信・引用
作品製作と公開を同次元に
考えないほうがいいでしょうね。
同じ意味で
表現とコミュニケーション、
これらもちょっと似ていて
紛らわしい関係にありますよ。
たとえ公開する人間が「作者」でなくとも
作品は歩き出すわけですから。
結果部分が最終目的なら
作品はいつか死にますよ。
作者は時流や普遍的価値観に盲目になり
ひたすら自己と闘い、作品を吐きだすだけで
いいんじゃないですか?
結果部分は自分で決めるもんじゃないし・・・・。
時代に乗っているモノより
むしろ逆らっているいるモノのほうが目立つんでしょうし。
>写真の時代は終わった?
「写真は最も作家性が希薄なアートである」
量が増えた分、質がおおきく低下しているのは確かでしょうね。
消費 = 商品 ですから
それでよいならひたすら新商品を「開発」すればいいのでしょうね。
製作と販売(公開)も同次元で良いという理屈です。
時代に左右されないものは
時代を超えて生き残る、これも確かですね。
Re: 写真の時代は終わった?
投稿者:
ヨーシロー
投稿日:2008年 9月30日(火)00時20分5秒
返信・引用
>
No.684[元記事へ]
Cheeseさんへのお返事です。
> 一旦終わったのかもしれませんね。
僕は写真画像の氾濫によって終わったと思っています。
そしてその権化のような写真週刊誌「フラッシュEX」の休刊も決まったそうで、これはかなり象徴的な出来事だと思います。グラビアももうすでに下火だそうだし。
僕が中高校生の頃、「写楽」や「GORO」をわくわくしながら見ていたあの写真から来る衝撃はもう今の人には感じられなくなったんだと思います。僕自身も感じられない。これは問題かもしれませんが、、、「自分の写真が一番エキサイティング」と言えたらどんなに気持ちいいことか。(笑)
> でも破壊と再生は世の常ですから、再生させましょう。
はい、でもその再生の方法が難しいわけですが。。。今のところいろいろちょこちょことでも先手先手でやるしかないですね。
> そうそう、ヨーシローさんの写真って、確実な需要があるところってあるでしょ、今回の工夫で表面の耐久性もかなり期待できそうなので、ちょっとハードな展示環境にも売り込みできそうですよ。
ハードな展示環境は面白いですね。
雨にも耐えられる?また相談します!
http://www.valoy.com/
Re: 写真の時代は終わった?
投稿者:
Cheese
投稿日:2008年 9月29日(月)10時33分38秒
返信・引用
>
No.683[元記事へ]
> 写真の時代は終わった?
一旦終わったのかもしれませんね。
僕の場合は元々写真集は本当に名売れた方の媒体だと思っていますし、掲載されるのは良いけど消費されるのはなんだかやだし、「あわよくば」は殆ど無いと元々思っているので、意外に終わったと言う感じではありませんが、一応終わっときましょう。
でも破壊と再生は世の常ですから、再生させましょう。
ブラッシュUPの件ですが、さらに1ランクUPしました。最初に実験した実験体も5年を超えたので、汚れ落としと再生をしてみました。結果は良好、その流れでもう一手間かけてみました。これが大成功です。とても簡単な事なのですが効果は抜群です。
5年経っても色の変化も無いですし表面は再生可能、さらに今回のブラッシュUPでさらに所有していただける方へのメンテナンス方法の確認もできました。(以外にメンテナンスって気になりませんか?)
ちょっと落ち込んでいましたが、落ち込んでのしょうがないので前を向くことにしました。
そうそう、ヨーシローさんの写真って、確実な需要があるところってあるでしょ、今回の工夫で表面の耐久性もかなり期待できそうなので、ちょっとハードな展示環境にも売り込みできそうですよ。
どお?。
以上は、新着順51番目から60番目までの記事です。
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